日本の薬草文化の地・奈良から生まれた和薬草の知恵
2021年3月号
普段、私たちは病気や体調不良を感じると、薬に頼ろうとするだろう。「薬」という漢字は文字通り、「植物」を表す部分と、「気分が良くなる」を表す部分から成り立つ。植物は薬の起源であり、私たちの祖先は、病気の回復や気分転換のために植物を試し、調べることで体調管理に役立ててきた。
日本の薬草に関する最古の史料は、飛鳥時代(538〜710年)にまでさかのぼる。飛鳥時代の611年5月5日、皇族の一団が奈良県北東部、現在の大宇陀周辺の山奥に薬草を求めて薬狩りに赴いたと記録されている。宇陀が良質の薬草が育つ地ということを知った当時の皇族はこの地を禁猟区と定め、薬草の確保をするほどだったという。
時代が下って科学的な調査が行われるようになると、宇陀の土壌には無機水銀が豊富に含まれており、これが薬草が豊富に育つ秘密であることが明らかになった。良質の植物が育つということは、そこに豊かなエサを求めて動物たちも自然に集まり、地域をさらに豊かにしていったという。そして、大宇陀の薬草に関する本領が知られるようになったのは、18世紀に入ってからのこと。徳川八代将軍・吉宗が取り仕切った大規模な社会改革の中に、薬草についての調査も含まれていたという。
宇陀出身、現在も奈良に暮らすアロマセラピストの西田奈々さんは、宇陀地域の薬草を広める会のメンバーでもある。「宇陀で生まれ育ち、ずっと故郷を愛してきましたが、自分の故郷が歴史や薬草の観点から、どれほど特別なものかということはそこまで深く知りませんでした。今では宇陀が誇る薬草の歴史と知恵を心から誇りに思っています」。
「どの国や地域にも、その土地ならではの受け継がれてきた知恵があります。薬草や植物など、その土地の自然の恵みをどう活かすか。植物は、自分の体や心の状態に気づかせてくれます。先人たちが伝えてきてくれた日本の知恵のひとつとして、宇陀の大和当帰を中心とした薬草を、これからも広く紹介していきたいと思っています」と語る。